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1991年・名古屋場所で幕内優勝を果たした元関脇・琴富士さん(本名・小林孝也)が60歳で逝去されました。
本記事では大相撲の華麗な栄光と、引退後の苦悩やYouTuber・療育支援まで、多彩な転身を遂げた生涯を改めてたどります。
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元関脇・琴富士とは何者?

- 本名:小林 孝也(こばやし たかや)
- 四股名:琴富士 孝也(ことふじ たかや)
- 生没:1964年10月28日生まれ、2025年8月8日死去、享年60歳
- 出身地:千葉県千葉市花見川区
引退後の人生—多彩な経歴や闘病生活
引退→親方へ:1995年引退後、「粂川」を襲名し親方として指導を行うも、1999年に退職。
タレント・実業活動:現役引退後はタレント活動、YouTuber、焼肉店店長など多方面で活躍。YouTubeでは相撲関係の出来事や自身の日常を投稿していたことも話題となりました。
「極貧生活」のドキュメント出演(『爆報!THE フライデー』)や発達障害児向けの療育支援に従事し、相撲を通して活躍の場を広げたようです。
体調面では、2021年の検査で冠動脈9カ所狭窄と腎疾患が発覚。手術後に様々な危機を乗り越えるも右半身麻痺などの後遺症が残った。寝たきり状態で介護を受けつつ、YouTubeで近況報告の映像も投稿していました。

家族情報:妻は中学の同級生
Wikipediaなどに家族に関する公式情報は見当たりませんでしたが、訃報をYahoo!ニュースが報じた際に、千葉・幕張中学の同級生で妻の篠原弘美さん(60)が闘病生活について語ったと記載しています。
その事から、琴富士さんは既婚者で、奥さんは同級生の篠原弘美さんだったと推測できます。
その他の家族情報は見つかりませんでしたが、琴富士さんは「子供達に相撲を教える事が楽しみ」だったようで子煩悩さも伺わせています。
死因は非公表だが脳梗塞で闘病中だった
新たな人生がスタートしたころに病魔に襲われた。もともと糖尿病は持病だったが、2021年1月に心臓のバイパス手術を受ける直前に脳梗塞を発症。頭蓋骨の一部を取り外す手術を受けた。同年9月には誤嚥(ごえん)性肺炎で生死をさまよった。
Yahoo!ニュース
琴富士さんは持病で糖尿病だったようです。
2021年2月に脳梗塞を発症して頭蓋骨の一部を取り除く手術を受け、その後は会話ができなくなった。
それ以降は自宅療養を続けるが昨年10月に意識不明に、そして8月8日に逝去されました。
妻の篠原弘美さんによると、本来なら脳梗塞の手術後に亡くなってもおかしくなかったほどの病状だったが、強い生命力でここまで耐えた。良く頑張ったと思いますと心境を語っています。
身体が不自由になる前は、子供達に相撲を教えることが生き甲斐と相撲愛を持ち続けた琴富士さん。相撲にまた携われる日を目標に闘病生活を送ったと思われます。
相撲経歴と人柄

- 入門・取組スタイル:中学3年時に佐渡ヶ嶽部屋へ入門。得意手は左四つ・寄り・吊り・上手投げ
- 成績
- 初土俵 1980年3月
- 新入幕 1988年9月(敢闘賞受賞)
- 関脇昇進 1990年7月
- 平幕優勝 1991年7月(東前頭13枚目で14勝1敗という波乱の快挙)
- 金星2個(大乃国・旭富士)、敢闘賞2回、三段目優勝1回。通算勝敗は529勝528敗、94場所に在位
- 人柄
- 幕下時代から「長身で重心が高く、動きが独特」と評されつつも、ストイックな努力家として知られる力士で、穏やかで謙虚な印象も持たれていたというエピソードがあります。
まとめ
琴富士こと小林孝也さんは、関脇・幕内優勝という相撲界での栄光から、タレントやYouTuber、療育支援者としての挑戦、そして病との長い闘いまで、多層的な人生を歩んだ力士でした。波瀾万丈の人生を駆け抜けたその生き様は、多くの人々の心に強く残ることでしょう。改めて、ご冥福を心からお祈りいたします。