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7月31日、著名写真家・山内順仁さんが66歳で永眠されたことが、元妻の山内乃理子さんの発表を通じて明らかになりました。尾崎豊さん、吉川晃司さんら著名アーティストを被写体に撮影し、音楽シーンに数多くの名作を残した人物。
本記事では、山内さんがどのような人物だったのかを、豊富な作品歴とともに紐解きながら紹介します。
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写真家・山内順仁とは何者だったのか?

- 氏名:山内 順仁(やまうち よりひと)
- 生年月日:1959年1月31日生まれ
- 出身:千葉県出身、岡山県倉敷市育ち
- 血液型:A型
- 最終学歴:東京写真専門学校 商業写真科卒
- 師匠:武藤義(むとうただし)埼玉県生まれのカメラマンで2014年に逝去
著名芸能人の作品
- 「尾崎豊 MEMORIAL」(1992年刊)— 若き尾崎豊さんのポートレートをまとめた象徴的な作品。
- 「Lay: Fragile/かとうれいこ 写真集」 — タレント・かとうれいこさんの写真集。27年前の名作として訃報報道でも言及されています。
- 他にも、桂木文『photo essay』(1985年)、SALLY「サリィ写真集 め でてぇんだよ。」、杉本彩『ON SHORE海風にgood‑bye』、**酒井法子『Comme le Cinema』**など多数の著名アーティストの写真集を手がけています。
山内順仁さんの代表作には、1980〜90年代を彩る音楽・芸能界の表情を写真として記録した名作として知られています。
学歴・経歴(キャリアの歩み)

- 卒業校:東京写真専門学校(商業写真科) 卒業(在学中に優等賞も受賞)。
- 修業と独立:武藤義氏のもとで修業後、23歳で写真事務所を設立。
- 多彩な撮影活動:1980年代以降、アイドルや俳優、ミュージシャンなどのグラビア撮影で活躍。ミュージック誌『Pati Pati』創刊期には表紙や巻頭を担当。ロック界の顔となるアーティストたち—尾崎豊、小室哲哉、吉川晃司、YOSHIKIら—を数多く撮影。
- 企業・ファッション誌との仕事:『流行通信』で表紙デビュー。電通、博報堂など広告大手とのタイアップや、資生堂、トヨタ、NECなど一流企業の撮影も担当。
- 世界・文化への視野:2000年代以降、世界各地を訪れ、世界遺産の撮影や展示セミナーなど国際的に活動。特別セミナーでは奈良・薬師寺の東塔撮影なども行われた。
- 受賞歴:公益社団法人 日本広告写真家協会(APA)主催の2019年度作品公募で、『Parallel World』が入選。

作品の特徴やこだわり
公式インスタより
公式インスタより
山内さんは「現場の光や風と一体化する直感型撮影」を特徴とし、対象を『自分の手で演出する』ことを大切にしていました。

写真家としての感性だけでなく、額装にも深く関わり、オリジナルフレームを自らデザイン・製作するなど妥協のない姿勢で作品完成度を追求していました。

突然の訃報・死因は公表されず
- 訃報:2025年7月31日に66歳で死去。元妻・山内乃理子さんがInstagram8月7日に発表、葬儀は家族のみで執り行われたそうです。
- 死因:現時点では非公表。本人のSNS投稿内容から、一部で様々な憶測もあるが確定情報なし。
「0番ホームは違う世界へ連れてってくれる」
「夢の扉が見えないのか・もうすぐ」
上記のような投稿から憶測が広がっていますが、真相は定かではありません。
年齢は66歳と比較的若いですが、持病や突然死などの可能性もあるでしょう。芸能界関係者からも突然の訃報に対して悲しみの声が上がっています。
まとめ
山内順仁さんは、写真を通じてアーティストの魅力だけでなく、文化・精神性までも表現した稀代の写真家でした。芸術家としての独自の視点と高い職人性で、業界に広く影響を与え続けた存在です。訃報に際しては、偉業を振り返り、静かな敬意を表したいと思います。